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■ 人体模型・その他製品についてのよくある質問

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人体模型の歴史を教えてください。
No.112 / Group:その他
Date: 2005/07/25 [修正]

歴史について

1600年頃、紀州藩の藩医であった岩田道雪が最初の人体模型を制作したとされています。これは、鍼灸治療の教材として整えられた木製の胴人形で、原型は室町時代に竹田昌慶が明の王室から銅人形の模型像を貰い受けて、日本に持ち帰った (1378) ものとされています。大きさは全長80cmで、上塗りは白漆喰で仕上げられ、そこに全身における経穴と経絡とが墨で図示されています。

江戸末期から明治初期にかけては、フランス製の「キュンストレーキ」と呼ばれた紙塑製の人体模型 が、欧州から教材として輸入されていました。現在は唯一東京大学に、この眼球模型が保存されています。この模型は左眼球と眼筋の構造とが示されたもので、実物のおよそ10倍の大きさで作製されています。
これは、文久2年 (1862) 、オランダで眼科を学んだ伊東方成 (1831〜1898) が、明治元年 (1868) 帰国に際して持ち帰ったものです。

また、記録用としては、明治後期から大正時代において、主として皮膚科疾患の記録にムラージュ法が盛んに用いられました。ムラージュ法とは、患部に石膏を当て凹型を取り、これにパラフィンを主剤にした蝋を流し込んで複製をつくり、これに患部の彩色を施して仕上げる方法で、皮膚科教授 土肥慶蔵 (1866〜1937) が、ドイツ留学時にその技法を習得し日本に導入したとされています。